人口の集中(まとめ)
現時点で「人口の集中」に関して証拠能力を持つ形で使えそうな書証を、次のようにまとめてみました。
「ラーベ日記(南京の真実)」中の「ヒトラーへの上申書」の中にも「安全区外の道路は人気がなく、廃墟の家々のみ(12月13日)」という記述がありますが、和文の「ヒトラーへの上申書」に相当する英文が確認できないので、これは省きました。
また、「戦争とはなにか」の付録部分にも「安全区外は1月末まで事実上の無人地帯」という記述がありますが、私は「戦争とはなにか」の記述の正確性を全く認めておらず、「荒唐無稽なでたらめの羅列」と断定しているので、この資料をもって何かを主張するのは不適切と考えて、これも省いています。
「南京防衛軍の司令長官唐生智は、市が戦闘地区に入ったと宣言し、すべての非戦闘員は国際管理下の安全区に集結しなければならない、と布告した。市内他地区での非戦闘員の移動は、黄色の腕章に特別の印で示される特別許可所有者を除いて、禁じられる。」
このときの状況を、「ヴォートリン日記」12月8日の条は、次のように記す。
“This evening we are receiving our first refugees and what heartbreaking stories they have to tell. They are ordered by Chinese military to leave their homes immediately; if they do not they will be considered traitors and shot. In some cases their houses are burned. Most of the people come from near South Gate and the southeast part of city.” (p24, “The Undaunted Women of Nanking”)
「今夜は、初めて避難民を受入れている。彼女たちが聞かせてくれる話は、何と心の痛む話だろう。中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。軍の計画を妨害すれば、家が焼き払われる場合もあるそうだ。避難民の多くは南門付近や市の南東部の人たちだ。」
“In other words, on the 13th when your troops entered the city, we had nearly all the civilian population gathered in a Zone in which there had been very little destruction by stray shells and no looting by Chinese soldiers even when in full retreat.”
「言い換えると、貴国部隊が本市に入城した十三日、私どもは市民のほぼ全員を安全地帯にという一地区に集合させていたが、そこでは流れ弾の砲弾による被害は殆どなかったし、全面退却中であっても中国兵達による掠奪もなかった」
Nine-tenths of the city are totally deserted by Chinese and contain only roving bands of plundering Japanese. The remaining tenth contains almost two hundred thousand terrified Citizens.
「南京市の九割の地から中国人が居なくなり、掠奪を働く日本兵の集団がうろつくだけになっている。残りの一割の地に恐れおののく二十万人の中国人がひしめいている」
(日本大使館からSan Pai Louにあるジェンキンス氏の家に向かう途中の光景について)
Those of you who have lived in Nanking can never imagine how the streets look ? the saddest sight I ever hope to see. Buses and cars upset in street, dead bodies here and there, with faces already black, discarded soldiers’s clothing everywhere, every house and shop looted and smashed if not burned. In the Safety Zone the streets are crowded ? outside you seldom see anyone but Japanese.
「南京に住んだ事のある者なら、街なかが今どうなっているか、想像もできないだろう。見るも無残なものだ。バスや自動車が腹を見せて道端に転がっている。顔が既に黒くなった死体があちこちに転がり、脱ぎ捨てられた軍服がそこいらじゅうに散乱している。家々や商店は燃やされていないまでも掠奪か破壊の憂き目にあっている。安全区の街路は混雑しているが、安全区の外で日本兵以外の人影を見ることは滅多にない。」
【コメント】
日本側の記録
【コメント】
皆様:
(出典:「南京事件資料集 @アメリカ関係資料編」青木書店/刊 p.390)
(出典:徐淑希編「南京地区襠案」 9号文書)
(出典:"Eyewitnesses to Massacre" p.394 )
註記にSan Pai Louは南京市北部の一界隈を指すとあり、別添地図に「三牌楼」という名が見える。日本大使館は鼓楼付近にあるので、12月21日の中山北路の「戦後の焼け跡」的な光景を描写していると思われる。つまり、「六週間に及ぶ大量の殺人と強姦」などというのは大嘘で、既に21日までに安全区内に潜む便衣兵の嫡出以外には、何もかもが終わっていたことを示す。
(出典:「レイプ・オブ・南京の研究」(東中野修道・藤岡信勝/共著、p.113 原典は未確認)
(出典:「南京戦史」p.201)
この歩兵第七連隊(金沢)による中山北路方面の巡察がいつ行われたのか、「南京戦史」の該当頁に日付が明記されていないものの、掃蕩命令の発出と他の掃蕩隊の記録からすれば、14日から16日にかけての事と思われる。
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